2009-04-09 根尾谷の淡墨桜(うすずみ)と断層。
京都からの帰途に、大垣で樽見線に乗換え、樽見で淡墨桜、水鳥で根尾谷断層を見てきました。大垣訪問はこれで3度目ですが、今までこのスポットを知らなかった。特に、教科書で見たことのある断層の現場がここにあるとは思いもよらなかった。淡墨桜は薄墨桜とも書くようです。

おっと! 根尾谷断層を想像して大垣の手前の駅で傾いちまった。ここに「垂井」とあるが、今から訪れるのは岐阜県の「樽見」であって、愛知県の「垂水」ではない。

京都セミナー終了直後。今晩はゆっくり休んで、明朝7時の出発に備えよう。

宿泊したロワジールホテルを出発

大垣駅、樽見鉄道のプラットホーム

1両だけの電車で結構、乗客がいる。

この背の低い木は何? 名産の富有柿に違いあるまい。

車中から、何とも美しい根尾川と渓谷

根尾川と揖斐川が合流した本流も揖斐川と呼ぶ。

1時間かけて、やっと終点の樽見駅

案内板によると、これから観る淡墨桜の和名は「ウバヒガン」。

とにかく案内表示に従って行くしかない。この淡墨桜とは、散りぎわに花の色が

グレーに変わるとか。すると、散りぎわまでは「ただの桜」?

「それは付き合えない な」などと余計なことを考えながら、

美しい景色を見ながら鶯の声を聞いて、我を忘れる。

根尾川が流れる一帯が根尾谷だ。

この水の透明度は、上高地と同等だな。

駅から徒歩20分。はぁ? まだかよ!

坂を上がりきると急に開けて無料休憩所

40人~50人程の観光客が取り巻いている

正直に云うと、淡墨桜は文字通り色が淡いというだけで、あまり美しいとは言えない。

聖徳太子時代生まれの1400歳だと。その点は畏敬の念を禁じ得ない。

上の方は元気に咲いているが、あちこちを支えられて生きている。

無料休息所。傍に店があって何でも売っており、味見もさせてくれる。

私も味見をして「桜ういろう」と「蓬ういろう」を買った。「名物にうまいものなし」というが、これはおいしかった。帰宅してから、通販で注文したほど。

帰ろうとすると、遠く、白山の雪山が見えた。

何とものどかな空気、帰りは下り坂なので、15分ほどであっという間に駅に到着

後続の観光客が沢山来たぞ。
2009-04-09 水鳥(みどり)の断層
ここは1891年(明治24年)に起きた日本史上最大の直下型地震である濃尾地震の震源地として、世界中の専門家の間で有名な地域です。何しろ、大都市がない地域で、死者7,273名、負傷者1万7,175名、全壊家屋は14万2,177戸という規模でした。当時の断層で歩道が曲がったり、地面が持ち上がったりした写真が中学校の教科書に出ていたのを覚えています。

樽見から一駅戻って水鳥駅に降りる。

駅前は桜が満開

早速、正面に断層の看板がある。

矢印に従って行ってみると、ん?

「断層ココ」と表示が出ているが、

通り過ぎても、な~んもない。

ここまで来ると左が低く、断層と分かる。

下側に下りて近づいてみると、

成る程、相当な段だ。この高さだけずれた訳ね。

遠方の三角屋根は、後ほど訪ねる断層観察館

資料館にある当時の写真で、横づれ7mとある。

これも地震当時の写真

中学校の教科書に載っていたのと同じ有名な写真

その道路が現在、このように変わっている。当時の道路を残す方法を考えるべきだった。

断層資料館

その左が先ほど見えた断層観察館

中に入ってみると、断層の切開面が

展示されている。6mの段差。

このように、断層の中に観察館がある。資料館にある当時の資料から、

被害の甚大さには驚かされた。水鳥駅に戻って、

プラットホームに立ってレールをみると、断層の横ずれに対応して曲がっているのが分かる。

地図で見ると、このように曲がっている。
中学校の教科書を思い出すとは思ってもみなかったが、懐かしい思い出でした。(終わり)