鵜沼地区を散策したときの写真集です。
岐阜県大垣市のイビデン(株)様に4点法FMEAの出張講習で伺うついでに、一度は訪れたかった鵜沼地区に立ち寄った。最近まで鵜沼町という中仙道の宿場町でしたが、今は岐阜県各務原市の一部になっている。ここは昔、宇留間(うるま)という地名であったことが古い文献で分かっており、秋田県湯沢市出身の私の姓「鵜沼」とは無関係で偶然の一致のようだ。
岐阜駅前風景(2006/07/25)
東海道線 → 高山線
田園風景が続く。
鵜沼宿駅の次が、鵜沼駅。
その北側を中山道が通っている。
鵜沼駅の正面
降りてみると、何と、鵜沼接骨院。
鵜沼第一幼稚園
鵜沼ブルトーザ(株)といった調子
中山道を北から下った三角地帯にお地蔵様がある。 西側から見た写真。
その北にある赤坂神社の入り口。
中山道鵜沼宿の標識、左が「地蔵様」からの道。
中山道らしい橋
中仙道鵜沼宿の案内板。
鵜沼ブルトーザ(株)といった調子
このまま行くと、次の写真の 前方後円墳が見える。
近所の住民は古墳など珍しくないようで、まるで無関心。
名鉄各務原線で、鵜沼宿駅から新鵜沼駅へ。
ツイン・ブリッジ入り口にある鵜沼城址。
この先がツイン・ブリッジ
赤い電車が通過中。
信長没後、清洲城で家康と織田信雄が秀吉攻略の作戦を練っている間に、秀吉方の大垣城主:池田恒興が犬山城を攻め取り、秀吉は大阪→近江→美濃→岐阜→ 鵜沼→犬山城と進み、小牧・長久手の戦いへと進展する。
ツイン・ブリッジの付近
木曽川ツイン・ブリッジから見た鵜飼場と日本ラインの船着場
反対側を見ると、犬山城
犬山遊園駅
岐阜に戻って大垣へ。付近で柿羊羹を買った。
大垣では、ふと路地の隙間から城が見える。から城が見える。
大垣城の案内板
石田光成が関が原の戦いで本拠にした城の美しい姿。
ホテルで一泊して、JR大垣駅の左端にある近鉄大垣駅から乗って、
次の西大垣駅で降りて、
いよいよ講演先のイビデン本社
簡素だが美しいビル。
大垣駅に隣接するアパホテルに一泊。