► 回答のみ、全面見直し(2019-10-16)
客観説TQM研究所への反対意見
(注)
客観説TQM研究所の主張に反対の方の感想文を掲載しています。お寄せ頂いた反論のうち、参考になりそうなものを選んで公開するものです。なお、実名や勤務先の公開は、許可を得て行っております。
反論(20) 匿名希望 2008-12-20
貴サイトは方針管理における 精神主義 を否定していますが、私は反対です。従業員の「やる気・熱意」などのメンタルな要素を欠くと方針管理は進まないのであって、「心服・信頼」などを重視する精神主義が悪いとは思えません。
[回答] 2つの点で誤りです。
- メンタルな要素が重要であることは、客観説も否定していません。「精神主義」とは、上層部がデータに基づいた有効な手段を講じないで、専ら部下の「やる気」などの精神力にのみ頼る状況を指します。
- 精神主義の間違いを学ぶ為に、私達は太平洋戦争を通じて210万名を超える犠牲者を出しました。
「断じて行えば、鬼神もこれを避く」とは、戦前に日本が米国に対して開戦すべく説いた評論家:徳富蘇峰(とくとみ・そほう)の言葉です。
「資源が足りない、武器が劣る、負けるかも知れない~などと迷ってはならず、断固として勝負に出れば、たとえ鬼や神でも恐れをなして逃げて行くものだ」という主張が国民の大変な共感を呼び、東条内閣に開戦を決断させたことは有名です。
英米の指導者は、個々の暗号情報から得られる生情報を直接チェックしコントロールして自らの判断に生かしたのに対し、日本の指導者は意図や願望が先行して客観的に情報を分析し評価する冷静さを欠いていた(引用文献:辻井重男著・「暗号」より)。
これを品質管理の言葉で言い換えれば、「英米の指導者は暗号解読などのデータで方針を考えたが、日本の指導者は意図や願望に基づいて方針を立てた」ということです。
データに基づかないとすれば、あとは下部組織の「やる気・熱意」に頼る竹槍戦法になって行かざるを得ません。精神主義は、決して是認されません。
反論(19) 匿名希望 2008-11-22
何かしら目標を持って活動を進めなければ、QCサークル活動が活発化しないと思います。目標があるから一丸となって取組める、発表があるから色々分析し改善を行うと思います。
[回答] 次の点を検討して下さい。
- 目標が決まっていなくても、「何とかして、もう少し良くしたい」という願望や意欲があれば活動は進みます。また、データがなければ目標を立てることは不可能のはずです。カンで立てることは厳禁だからです(カンで目標を立てることをハッタリという)。
- 貴方が「目標」と称するのは、ビジョン(将来のありたい姿)のことだと思われます。日常用語としては、ビジョンと目標を混同してもさほどの問題になりませんが、専門用語では混同は許されません。
- QCサークル活動は日常管理です。つまり、毎日の通常業務であって、給料を貰っている以上はやらなければならない義務のある業務です。
- 家庭の主婦が「目標があるから掃除する、発表があるから掃除する」などと考えるだろうか?
反論(18) 匿名希望 2008-11-22
あながち過去のやり方が間違いだったとは思われません。なぜなら、このQCサークル活動が多くの会社に取り入れられて行われた事により一定の成果が上がり今日の日本の発展に繋がったからです。
[回答]
- 「役立ったかどうか」と「間違いかどうか」は、別問題です。改善自体は行われたが、発表はウソというのが非常に多く、「役立ったから間違いではない」と言う理屈になりません。
- なるほど、それでも改善はされたのですからQCサークルは、その意味で「役に立った」のです。しかし、多くに点で損失を生みました。
- 正直に報告することに、価値を感じなくなる(平気でウソをつく習慣)。
- 管理職が関与しないから、管理職がQCサークル(日常管理)の指導ができない。
- ウソ話で賄えるから、正しい方法があるのに学ぶ機会を失ってきた。
反論(17) 匿名希望 2008-10-20
客観説は、玄関先でやれ靴の脱ぎ方がどうのとか挨拶の仕方が気に入らんとか、訪問着で無いとかそんなことをごちゃごちゃやっているような気がしてなりません。重要なのは本論であり、応接間なり研究室なり打合せ室なりに入ってからの本論の議論が大切と思います。
[回答] 勘違いだと思われます。
- 品質管理の理論は、管理技術 です。貴方が言っている「重要なのは本論であり」というのは、固有技術 のことかと思われます。業務は管理技術と固有技術の両輪で成り立っており、両方とも本論です。
- つまり貴方は、玄関先で間違いをしたために結論を誤ったのです。
反論(16) 匿名希望 2008-10-11
客観説ではQCサークルのウソ発表を問題にされていますが、その問題は従来から 「本音と建前」 の問題として論じられてきたのであって、それで十分だと思います。
[回答] 「本音と建前」では、解決しません。
- 「本音と建前」とは、
例えば、何かを断るとき、本音(嘘偽りのないこと)は「お断り」です。しかし、相手に対して「NO」とは言わずに「もう一度考えます」「検討します」と言います。これが建前(表向きの顔)です。これは社交上の有益な習慣です。
しかし、「QCストーリーの通りに活動した」と発表することは、何の価値もありません。QCストーリーが、「必然的にウソ話になる」という仕組み(プロセス)を明らかにする必要があります。
- 「本音と建前」をいくら唱えても、「正しい活動手順」と「正しい発表手順」は明らかになりません。
反論(15) 匿名希望 2008-10-01
客観説では、「なぜなぜ分析は、特性要因図を作るための手法ではない」とされていますが、納得できません。トラブルが起きたときに、原因を追究するために、まず仮説原因を列挙し、その後にそれらを検証して原因を突き止めることは有益な方法だと思います。
[回答] 根本原因の意味を確認してください。
- 特性要因図「原因を追究する」に利用するのは、問題を解決するためです。
- 「なぜなぜ分析」で根本原因を追究するのは、再発を防止するためです。従って、特性要因図とは無関係です。
反論(14) 匿名希望 2008-04-17
客観説の方針管理で、「願望を満たすような目標が立たないときは、体質を強化しなければならない」とありますが、トップからは「クレームが頻発し原価も高い現状では、体質が強化されるまで手をこまねいて待つわけに行かない」と言われました。
この反論への説得方法を教えて下さい。
[回答] トップは勉強が必要。
- 「一流大学に合格したい」と願うなら、「じっくり勉強して、実力をつけよ」というのは当然のことで疑問の余地はありません。
- それに対し、「そんな悠長なことを言っていられない」というならカンニングするしかありません。だから世間では「やったふり」の偽物の方針管理が横行しています。
- 「そんな悠長なことを言っていられない」というなら、何をするのですか? 体質が弱ければ、何もできません。
反論(13) 匿名希望 2006-06-07
客観説では「従来の考え方で言う目標は願望であり、手段をいろいろ検討して、成功しかつ最善の結果をもたらす手段を選んで、その場合の結果を目標と呼ぶ」ものとしています。しかし、私達は、いろいろな願望のうち実現を決意したものを目標としています。そして、いろいろな手段を検討して選んだ最善の結果を「予測効果」と呼んでいます。
以上のように理解するのが正しいと思います。
[回答] 「なぜ、その理解が正しいか」という理由を示していないから、間違いだと思われます。
- いろいろな願望のうち、次を決意したとき、それらは目標になりますか?
- 300歳まで生きたい。
- 今年中にノーベル賞を取りたい。
- 貴方は、これらの実現を決意 すれば目標になると思いますか? 目標にできないはずです。なぜなら、「成功し、かつ最善の結果をもたらす手段」がないからです。つまり、客観説に従うはずです。
- 検討して選んだ「最善の結果」を「予測効果」と呼んではなりません。「予測効果」は、「予測した効果」というだけの意味しかなく、「いろいろな手段を検討して選んだ最善の結果」とは無関係です。
反論(12) 匿名希望 2004-11-15
客観説の方針管理では、検討が終わってから目標を設定するから、実行段階になってしまう。実行段階で目標を設定するのはおかしくないか。
[回答]
- 「目標=狙う的」ですから、目標は実行時にならないと設定できません。
- ゴルゴ13のようなスナイパーは、「誰を射殺するか」は事前に決まっているが、これは願望(ビジョン)です。引き金を引くときに「狙いをつける」、つまり目標を設定します。
(1) 願望(ビジョン)に基づいて → 方針を立て → 実現手段を用意する。
(2) 実現手段を整えたら目標を設定して → 実現する。
反論(11) 匿名希望 2004-11-15
先にデータなしに不良ゼロを目標にして、後で不良半減が最善だと分かったら、目標をそのように変えればよいのではないか?
[回答] そのように指導する人もいるようですが、間違いです。
- 「後で不良半減が最善だと分かったら、目標をそのように変える」なら、最初の目標は無用だったことになる。
- 「不良ゼロ」の目標を「不良半減」に変更するのは、前の目標がまずかったからです。では、なぜ、まずい目標を立てたのですか? その答えは、カンで目標を設定したからです。従って、次回からはそのような目標は設定しないように手順を反省することになります。それとも、毎回、「目標の取り消し」という失敗を繰り返しまか?
反論(10) 匿名希望 2004-11-15
先にデータなしに立てた目標は「願望、ノルマだ」とのことですが、それは単に言葉の違いや呼び方の問題に過ぎず、改善を進めるに当たって重要な事項ではないと思う。重要なのは、いろいろな手段を工夫することだと思う。
[回答]
- 「重要なのは、いろいろな手段を工夫することだ」という主張に異論はありません。
- 「単に言葉の違いや呼び方の問題に過ぎず、改善を進めるに当たって重要な事項ではない」という主張は、完全に間違いです。なぜなら、
- 小集団活動では、目標を設定しないでCDPAを繰り返す。つまり「もう少し良くならないか」を繰り返す。
- 方針管理では、目標を設定しなければならない。つまり、「一発勝負」でやり直しができない。
という大きな違いがあり、これを守らないと成果が損なわれるからです(失敗例は無数にある)。そのためには、用語の意味を正確に理解しなければなりません。
反論(9) 匿名希望 2004-11-15
客観説TQMの目標はデータで裏付ける必要があるとのことですが、私の知人の経営者はデータ的に裏付けることをせずに「不良ゼロにせよ。」の目標を設定して、現に不良ゼロを達成しました。従って、そのような客観的目標というようなものは敢えて設ける必要はないと考えています。この点をどう説明されますか?
[回答] そのようなお話は一般に経験談と呼びますが、無批判に取り入れてはなりません。
- 逆にお尋ねしますが、その知人の経営者のように行って失敗した事例はどのぐらいありますか? 何百倍ありますか?
- 旧日本軍は「必勝の目標」を立てて敗戦の憂き目にあいました。これをどう説明しますか?
- 「まじめに働いて稼ぎなさい」との教えに対して「私の知人は遊び半分で宝くじを買って、これが当たって大成功した」との事例を挙げて、反論になりますか?
- 「ノルマを与えて煽(あお)れば済む」というのは楽な経営です。そのような安易な経営姿勢では、現今の企業経営は乗り切れません。
- 「不良ゼロの目標を設定すれば、なぜ、不良ゼロを達成できるか」というメカニズムが示されていません。メカニズムがないのに、どうして納得できたのでしょうか? それで納得するなら、一種の宗教であって、いくら理屈を説明してもムダです。そういう方は、「原価ゼロの目標を立てれば原価ゼロにできる」のですから、それを実現して頂く以外にありません。
反論(8) 匿名希望 N.A. 氏 2004-05-01
客観説は、方針管理についての反省の基準を図のように説明しています。これによると、経営者のニーズに対して高い目標が立ち、実績が目標よりも低いなら、その差について担当者の反省事項であるとしています。
しかし高い目標が立った場合でも、実績がニーズよりも著しく低いときは、やはりその担当者の素質を問題とすべきであり、担当者の反省だけでは済まないと思われますが、いかがでしょうか?
[回答]
- お説の通りで、当方の説明不足です。客観説としても同様に理解しています。
- 実績がニーズよりも低いのは、真実は、そのような「低い目標しか立たなかった」場合なので、経営者の反省事項になります。
反論(7) 匿名希望 S.T. 氏 2004-04-30
客観説は、大改善と小改善を区別することが理論の中核となっていると思います。しかし中改善がないことになり、実態にそぐわないと思います。実際の活動はむしろ大半の改善は中改善(数万円から百万円程度)であって、客観説では目標を設定するかどうか、活動テーマを選定するかどうか、途方に暮れてしまいます。
従って客観説は理論としては面白いが、貴兄が主張するほどの実用性はないと思います。
[回答]
- 中改善という概念はありません。「失敗してもいいから進めよう」と判断するなら小改善だし、「失敗できないから事前に実験等で確認しよう」と判断するなら大改善です。その判断基準は、数万円から百万円程度というような基準ではありません。
- 百万円を超える場合でも「失敗してもいいから進めよう」というなら小改善。1万円でも「失敗したらやばい」というなら大改善です。
- 進める必要性が高ければ、それだけ冒険をいとわなくなり「失敗を覚悟してまでも」と判断する傾向は強くなるし、進める必要性が低ければ、1万円でも惜しくなるということです。
反論(6) 匿名希望 T.I. 氏 2004-04-21
私はいまある製品の塗装膜の厚みを公差の中央に持って行くための改善(小改善)を行っています。当然、「公差の中央の膜厚」が目標です。鵜沼さんのお説だと、小改善では目標を設定しないとのことですが、これが目標でなくて何だという気がしますが如何でしょうか。
[回答] 反論として成立しません。
「公差の中央の膜厚が目標です」ということは、「目標は既に決まっており、従って、いまさら設定する必要はない」ということです。つまり、貴方ご自身が「目標の設定は必要ない」と認めていることになります。
[注] 管理目標と改善目標
「管理目標」とは、実現が可能であることが分かっている成果であって、許与範囲内に維持することを義務付けたものを指します。上の例でいえば「公差の中央値」であって、これは設計の際に設定済みです。
これに対し、「改善目標」とは、その改善活動によって実現しようとする成果を指します。小改善において設定する必要がないのは、この改善目標のことです。
反論(5) 匿名希望 A.T. 氏 2004-04-10
小改善はテーマを選定しないし重点管理の適用もないことに関して、疑問があります。
[QC 改善事例-質問と回答]の質問[1] の中で、パレート図が使われています。もし重点管理の適用がないなら、パレート図を示す必要はないはずです。これは矛盾ではないのですか?
[回答] 大変によい反論を頂いたと思っています。
- パレート図は、重点管理に使用するとは限りません。このパレート図に示した部署別電話回数は、この中のどれか1つというのではなく全部やるし、多いものから手をつける訳でもないから、優先問題も選定問題もないのです。従って、重点管理を適用しているわけではありません。
- ただ、経営者のための課題として、ワースト3が解決したかどうかを示しておく必要があります。
反論(4) 匿名希望 K.A. 氏 2004-04-08
「目標を設定する目的は、大金を投ずる場合の見返りの保証、及び最善性の保証にある」とのお説は、大変に興味をそそります。しかし、そうだとすると、例えば「売上げを増やす」という長期方針を立ててもテーマ・ストックは蓄積されないことになります。
なぜなら、売上げ増加のよい手段があっても「これで売上げが30%増加する」という確実なデータがとれないからです。すると「売上げを30%増加する」というような方針を立てることは不可能になり、方針管理が成り立たないことになります。
そうなってしまう根本は、目標の捉え方(客観説)に問題があるからだと思います。
[回答]
- 売上げ増加の「よい手段」があるなら、その「よい手段」を小規模に(例えば、商品の数を限定、販売地域を限定など)実験して、データをとることが推奨されます。実験で成果を裏付けるデータが得られれば、目標を設定し、テーマストックに加えることができます。
- その売り上げ増加の手段が、
- 大きな投資を要するなら、失敗が許されず、やはり成功を裏付けるデータが必要です。
- 失敗しても問題になるほどでなければ、目標を設定する必要はなく、テーマストックに留めずに、どんどん実施し、PDCAを繰り返せばよいことになります。
反論(3) 匿名希望 A.T. 氏 2004-03-20
「小改善はテーマを選定しないし、重点管理の適用もない」とのお説は納得しかねます。小改善テーマは多数あるはずです。すると、一度に全てに取り掛かることが出来ず、何かテーマを選ぶことになります。どうせ選ぶならワースト3を選ぶべきであり、テーマを選ばないとの客観説は説得力がないと思います。
[回答]
- 「小改善テーマは多数あるはずです。」→ OK
- 「すると、一度に全てに取り掛かることが出来ず、何かテーマを選ぶことになります」→ ここに問題がある。
(1) 1個だけ選定して、他は長期にわたって放置する。→ NO!
(2) 全部は無理でも、出来るだけ多数のテーマに着手する。つまり、活動テーマを1個だけ選定することはしない。→ OK
- 「どうせ選ぶならワースト3を選ぶべき」にも問題がある。
事務所の女子事務員が通路に紙屑が落ちているのに気付きながら、そのまま通り過ぎた。「なぜ、拾わなかったか?」と尋ねたら、「ワースト3以外には手を付けません」と答えた。これをどう思いますか?
重点管理は、ワースト3に真っ先に着手し、その間は他のテーマを放置する制度である。これは方針管理に適する手法であって、日常管理に適しません。
- 小集団活動では、次のようになります。
(1) 安全や環境汚染に関するテーマを先にやる。 → OK
(2) 「解決が極めて容易で早いテーマ」があるなら、それらを先に片づける。 → OK
(3) ワースト3に着手するが、他のテーマによい手段が見つかったら、それもやる。→ OK
(4) 重点管理としてワースト3のみに着手し、他は放置する。 → NG !
反論(2) 匿名希望 F氏 2003-10-09
単に挑戦を決意しただけの目標を「主観的目標」とし、達成を決意した目標を「客観的目標」と定義することに格別の異議はありませんが、常に前者が悪く後者が望ましいとする論調には賛成しかねます。
「どこまでできるか判らないが、ともかくできるだけやってみよう」というような目標もあって良いし、そのような目標に挑戦する姿勢があながち悪いことであるとは思えません。
[回答]
- 「どこまでできるか判らないが、ともかくできるだけやってみよう」という考え方は正解です。
- しかし、それは「目標」ではない。なぜなら、達成したかどうか判断できないからです。
- ISOの定義でも、「目標は達成か未達成か、判別できること」と規定されている。
反論(1) 匿名希望 K氏 2003-06-21
目標で改善の程度を示さないと、どのような手段を考えたらよいか分からないことになります。
[回答] それは違います。改善の程度を表すのに、2つの方法があります。
- ビジョン=手段は不明だが、「こういう結果が欲しい」というニーズ、願望
- 目標=「失敗は許されないが、こういう確実な手段があるから狙おう」
以上でお分かりのように、貴方が求めているのは、目標ではなく、ビジョンです。
https://gloomy-ktqm-labo.ssl-lolipop.jp/method/
All rights reserved.
© 客観説TQM研究所 鵜沼 崇郎